第65回 富士山登山競走
ランニングを初めて4年。色々なレースに参加してきましたが、フルマラソンのサブ3・ウルトラマラソンのサブ10とあわせ、ランナーとしての偉業・グランドスラムの達成条件に完走そのものが含まれるという富士登山競走に参加してきました。身の程知らずもいいところです。
コースは麓から五合目までと、同じく麓から山頂までの2つ。
前者は基本的に誰でも参加できますが、後者は三年以内に五合目までを制限時間内に完走した人間でなければなりません。
そのうえ頂上ゴールへの制限時間はひどく厳しいので、フルマラソンで3時間を切ること以上に難しいとも言われています。(グランドスラムの達成条件はこっちのコースです)
さらに金曜日に開催されるという珍しい日程により、多くの参加者が木曜日中に宿を取って現地入りのうえ十分に調整を行って挑むことから、3.5連休か4連休を取らないと参加できないという、生活環境的にも敷居が非常に高いレースといえます。これは休日増える一般登山客と細い登山道でかち合わないための配慮だそうです。
初回参加の僕は当然部門は五合目までのコース。木曜の夜にレンタカーで家を出発し、日をまたいだころスタート地点の富士吉田市役所に到着しました。遠く見える富士の山小屋の光が天に昇る竜のよう。
うとうとと駐車場で仮眠をしていましたが、朝やってきたスタッフにこちらは駐車禁止になると告げられ、参加者駐車場の下吉田第二小学校の校庭に移動しました。
ギリギリまで予定がわからなかったためにクルマ入りの申請と引き換えの駐車券を持っていないことが不安でしたが、校庭はかなりの広さなので問題なく駐車できました。
そこから市役所までマイクロバスで戻り、まずは7:00の山頂コースへのスタートを見送ります。
トイレ待ちやバスの遅れでスタートに間に合わない人も十人近くいましたので、山頂コース挑戦者はやはり前日入り必須ですね。
そしてさらに二時間後の9:00、五合目までの僕らのスタートです。
過ぎた晴天の日差しは容赦なく参加者を照り付け、開会式の段階で汗だくに。
みんないいスタート位置よりも日陰を探しているようでした。コンディションとしては雨よりも厳しかったかもしれません。
僕は正直このレースを甘く見ていました。
水も食べ物もエイドで十分足りると経験者に聞いていたし、5合目までなら勾配も大したことないといつものレース同様手ぶらで参加しており、市街地を駆け抜ける際も応援の人々に手を振ったり写真を撮ったり。
しかしそんな余裕はスタート15分後には微塵もなく消滅。
ずうっと登り道であるという事実がこれほど厳しいものだとは。
登山道にたどり着くまでの7kmはハーフマラソンを走るよりもずっとつらく、そして長く感じました。
5kmも進まないうちに歩き始める人が現れ、自分の体が地面に引っ張られているという自然の法則が強く意識させられます。
普段なら余裕で走り切れるこの距離にありえないほどの体力を費やし、途中からは順位よりも完走を優先してペースをどんどん下げることに。
登山道に入るともはや普通のレースの常識は通じません。
走っているか歩いているかあるいは止まっているか、目をうつろにして息を乱した人間がその三種類に分けられているのみ。
僕自身「マラソンはどんなに遅くとも決して歩くことはしない」という信念に基づいて辛うじて走りの足運びを維持していたものの、速度は歩くそれとそう変わっていなかったはずです。
一歩一歩が苦痛との交換であり、もはや何を目的に走っているのか脳が考えるゆとりすらなく、観客からは富士に登る修験者の行列のように見えたのではないでしょうか。
その名の通り、馬さえ越えることのできない「馬返し」はまさに地獄。
さわやかな木洩れ日と鳥の声に交じり、参加者たちの異様な息遣いが周囲にこだましていました。
そこを抜けた先のエイドに用意された、水・レモン・梅干し・レーズンのおいしかったこと。コップを差し出してくれたボランティアスタッフたちは、地獄に仏です。
しかし、体力と水分をじゅうぶんに補給し気を取り直した僕が目を向けた先の光景で、ぼっきり心を折られました。
そこはもう山道。たとえベストコンディションであったとしても走って移動する傾斜と路面ではありません。
ここから先はトレイルランニングの登りと同じ。
残念ながら歩くことにしました。
ところが歩けば多少は楽になると思ったのが間違い。
歩いているのに心臓の鼓動は喉から飛び出しそうなくらいに激しくなり、内側から耳に響きます。
その脈拍の上昇で今までにない発汗量となり、水をかぶったようにびっしょり。水分が足りなくなることでまず頭痛が起き、続けて懸念だったふくらはぎの硬直が起こりました。
完全に攣ることはなかったものの、木で組まれた高い段差に神経質になり、歩きのペースも徐々に落ちていきます。
このあたりでスタート直後に抜き去ったラン仲間の女性に追いつき追い越され、大変悔しい思いをしました。総距離はまだ12kmかそこらだというのに…。
通常のレースとは消耗するリソースと考慮すべきポイントが明らかに違うのです。
わざわざ試走に出かける人が多いのは、そういう理由からなのでしょう。
それからあとは、どうにかゴールまでたどり着くことだけを考えて歩を進めました。
制限時間は2時間半と設定されているものの、意地として2時間15分以内にはたどり着きたかったのです。
崩れ落ちた山小屋の廃屋や、鎖を引き寄せないと登れない崖などが含まれるルートは、もはや僕の知ってるマラソンの様相ではありません。
そのうち多くの人の大きな声援が近づいて、突然木々のトンネルの先に広い青空と大きな土山が現れたとき、ゴールがそばだと知りました。
時間はすでに2時間12分。遠くに赤いゴールの幕が。
たった残り300m、普段ならば1分たらずで走り切れる距離が永遠のように長く、先にゴールした仲間の声が聞こえてきたときには2時間14分30秒。急ごうと力を入れるとふくらはぎがギュッと固まって抵抗するので、腿の筋肉だけを使って足を動かしました。その姿は写真撮影サービスに撮られて、やがてネットに公開されるのでしょうが、正直絶対見たくない無様な姿だったはずです。
かくして最後のゴールラインを超えたのは2時間14分48秒。
こんなギリギリで過酷なのは、4年のマラソン経験の中でダントツです。フルマラソンより辛いと断言できます。
見上げればこの先にさらにもう半分の登り道が頂上に向かって続いています。
山頂コースはここがまだ半ば。この先を制限時間と戦いながら登っていった仲間たちがいるのです。
そこへの挑戦権利は得たものの、自分にそれが可能とは到底思えない。それどころか来年の参加を考えることすら頭が拒否する満身創痍ぶりでした。
そんななかでも地元のテレビ取材には笑顔を絞り出して受けましたが(笑)
その後、預けた荷物のゴール後の引き取り場所まで1.6km、帰りのシャトルバスまで800mと、疲労の中をやたら歩かされることに。
また、どういうわけか今年から閉会式の場所がスタート地点から数km離れた広場で行われるようになっていて、さらにその場所から駐車場へのバス待ちの行列に。炎天下の中、この理解できない運営進捗にはみな恨み言を述べていました。
そんなわけで、寝不足と体力の消耗で、無事に家まで帰れたことに幸運すら感じるハードな大会でした。とても万人にはおすすめできませんが、あの強烈な達成感は他にはないと思います。
で、この翌日に別のマラソン大会が控えていたのですが、その話はまた後日。