今回はネットで公開されている下記の漫画を読んで感じたことを書きます。
【ぷにんぷ妊婦】
http://ameblo.jp/puninpu/entry-11898825859.html
ウチの娘もゲーム禁止(本人が遊ぶのにケジメつけられなかったから)なんだけど、こういう代替行為を考えて実行できるほどのモチベーションはないんだよなあ。すぐ諦めちゃう。
親の希望としては「欲しければ、何か方法を考えろよ!」と思うのだけど。
ずっとこの人のマンガ読んでますが、お兄ちゃんはすごく頭使うのに慣れた子のように思います。困ることがあっても、ちゃんと自分の力で解決できるんだろうなあ。
(妹ちゃんは妹ちゃんで面白いけど)
このお兄ちゃんがゲームを欲しがってこれを作ったのかは別として、この話を読んで、ピアノが買えなくて鍵盤を紙に書いて練習したりする子や、僕が超合金ロボット買ってもらえなくって、お菓子の空箱集めて合体ロボ作ったことを思い出しました。
そのうち、箱を一度分解して裏返してからそこにデザインを描くとか、輪ゴムでロケットパンチの仕掛け組んだりとか工夫する余地も出てきて、やがて「自作」そのものが楽しみになっていったのです。
そんな経験は今、間違いなく活きてますね。
子供が成長の過程で、欲しいけど足りないものを感じ、これに対しての渇望とか模索によって可能性を理解していくのは間違いなく、若いうちにできるだけ多くそういう機会を経験しておくべきだと思います。
遊びにかぎらず、子供に「困った>どうしよう>だれもアテに出来ない」と感じさせ、自分で「できるところまでやってみよう」というクセをつけることは超重要。
親が手を出していいのはそこから先。
今の子どもたちって、便利になりすぎた世の中に生きる時代的事情もあるけど、親が「わかるまで待つのが面倒」という理由で手を出したり与えちゃうために、依存や諦念に逃げる癖がついてることが、すごく多いです。
我が家も例外ではなく、娘が困ると妻が「先にやってあげちゃう」ことを続けてたために依存体質につながってしまったようなところがあります。
片親で忙しい上に、肩身狭い思いさせたくなかった事情もあるんですけどね。
ただ、やればできる子ではあるので、僕が夏休みに突入して娘とふたりきりになってからは一緒にいながら一切全く手を出さないことにしました。
物理的・社会的にどうしてもできないものなどは別として、明らかに自分でできることは「知らん」「わからん」「自分でやって」の三択。
あと、怠けることで、家族や友達に迷惑がかかることも強調演出しています。
結果、夏休み中も自分で早起きして、部活には弁当作っていくようになりました。
勉強については「パパ、忘れちゃったんだけど、この問題ってどう解くんだっけ?」と逆に頼ることで自分で考えます。
「やればできるのにやらないのはできないのと同じ。できるとこまでいいからやれ」
これだけ学んでくれれば、あとはどうにでもなるからね。
2014/07/24
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