金魚が教えてくれたこと
週末のつくば帰りの地元のお祭で娘が掬った金魚が死んでしまいました。
黒の出目金と赤い小さな金魚で、それぞれ「こしょう」と「あらじお」と名前をつけていた小さな命とはわずか1週間でお別れ。
正直なところ、長生きするとは思っていなかったし、何よりその場限りの楽しみのために命を取引するような遊戯は好もしくなく思っています。肉や魚の命を奪って食べている一方でヘンかもしれませんが、そこには何か決定的に違うものがあると思うのです。
だから娘が「金魚すくいやりたい」って言い出した時も「パパは好きじゃないけど、持って帰るならしっかり飼えよ」と伝えたものです。
名前もつけ、ちゃんとカルキ抜きをした水換えも毎日やり、餌もしっかり与えてはいたものの、拙い知識の不足やヒトや犬と世話の勝手が違うところもあったのでしょう。一昨日「あらじお」が、その夜「こしょう」がみるみる弱って、朝には二匹とも横向きに浮いていました。娘も学校に行く前にそれを見たはずですが「寝てたと思った」そうです。
死んだ二匹は玄関前の植え込みに埋めて手を合わさせました。あまり感情を激しく出さない娘も、一応それなりに悲しんではいたようです。
しかしほぼ同刻、折しも妊娠していた義妹が出産した報せが入り、従姉妹が増えたことで感情が躁に一転。ぱっと表情が明るくなって父は少々複雑な気持ちに。
慶びと弔いが重なって娘にとっては慌ただしかったと思うけど、もうちょっと色々感じるゆとりが欲しかったなあ。
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