「子どもの好きにやらせて!」 5歳で英検2級に合格した少年が、大人たちに苦言
http://logmi.jp/26082
この記事を読んで「理想論」という言葉がどかんと頭に浮かんだので書きます。
僕もね、実は子供持つまでは記事の少年が言うようなことのできる親になろうとしたんですよ。
子育てが途中からだったこともあったし、だからこそ「血がつながってなくてもパパはわかってくれる」と思われるような理想的な父に…。
でも無理だった。というか「あ、やっぱそれできんわ」とまもなく理解して、見事に口うるさいステレオタイプの父親になりつつあります。そのぶん互いにステップファミリーの意識がなくなっているような気もしますが。
この理想論を実行できるのは下記の3つの条件を満たしている親だと僕は考えます。
1)子供が育った結果に期待してない
自由に育ってくれればいいと心底考えている親です。放置しているのではなく、どういう子供であっても受け入れられる覚悟というか。
「こうなってほしい」「自分ができなかったことをこの子は成してほしい」「自分のような失敗はしてほしくない」と少しでも思ったら、意識しなくても必ず何らかの大人の意図で子供の行動を制限しているはずです。
2)子供がしたいことをなんでもさせてあげることができる
できるだけ多様な経験をさせてあげることが子供のためになることは僕も大賛成です。早いうちに沢山の選択肢を与えてあげることは重要です。
そのために、子供のうちからあちこち海外旅行に連れてって異文化や語学に触れさせるとか、五感を刺激する最新のアクティビティに常時チャレンジさせてあげるなど、できることなら与えてあげたい成長環境は誰でも思いつくと思います。
が、それは当然誰にでもできることではありませんね。お金も時間もたっぷり余裕がなければできません。
3)子供がどんなふうに育とうがフォローできる力がある
前の条件に似てますが、多くの場合、こっちの意識が大きいと思うんです。
好きなコトばかりさせて大事なことを学びそこねたまま成長しても、あるいは自由にさせたがために取り返しの付かない失敗をしても、そのどんな責任や損害にも対応してあげられるかどうか。
お金や時間だけでなく、ときには権威も必要になるでしょう。それがなければ、子供に好きなことをやらたまま不確定な将来を迎えさせようなど、とてもできません。
こどもは小学校高学年から中学生あたりで、体が一気に大人に近づく一方で、頭の成長がそれに追い付いていないので、たまにヒヤリですまないようなことをやらかします。
それをにこにこして「ええんやで」などと見守る余裕は僕にはないし、できるとしたら上記の条件を満たす限られた親でないと無理だとしか思えないんですけどね。
記事の少年は、うまくいった稀有な例だと思います。
そこには本人の努力や、あるいは親の見えない支えも色々あると思うのですが、はっきり言ってその稀有な例を「こうあるべきなんだ」と、とらえるのはすごく危険です。
大人が子供にブレーキをかけるとありますが、幼い判断でスピードとハンドルを動かすクルマにブレーキをかけられるのは親以外にいません。教師も昔ほど子供には干渉しないし、社会環境はこども守るどころか脅威になる場合が多い時世です。
ブレーキかけなかった結果、理想的に育った例と、ニュースを騒がせるような結果になった例、どちらが多いかを見れば明らかかはわかると思います。
ただ、この理想論に対し、取り組んでできなかったのと、最初からまったく考えないとでは別物だとは思うのです。
僕が娘を自由奔放にさせてあげられないという前提で心がけているのは
「無駄であっても努力していることは止めない」
「自分でできそうなことは困っていても手を出さない」
「取り返しのつく失敗は敢えて止めずに味わわせる」
の3つ。
自分でモチベーションを高められることと、過ぎない範囲で痛みを感じたり恥をかいて反省することは、成長の何よりの糧です。
最初から理想的に育つ(可能性のある)環境を与えることはできないけど、努力と反省を身につければ大抵のことは乗り越えられる大人になると思うというのが僕のやりかた考えであり、これから自我の芽生える年齢となるこどもと向き合うであろう「一般的な」親の皆さんにお伝えしたいことです。
2014/11/05
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