『風立ちぬ』
『風立ちぬ』を見てきました。
例によって断片的情報で観賞前から全貌が見え始めてきたため、慌てて映画の日を使用したというわけです。
巨匠宮崎駿の最後の監督作品ということでジブリの真骨頂を期待する人も多いと思いますが、これは誰もが楽しめる作品ではありません。
戦闘機設計に携わる男の生涯が淡々と描かれ、これまでの作品にあるようなファンタジーやメルヘンは皆無と言っていいでしょう。
よって、エンタテインメントを期待する主に若い世代にとっては驚くほどの肩透かしではないでしょうか。
ところがこれ、モノづくりに携わる人間が見ると全く違う見え方になるんです。
モノづくりは夢と現実との間で葛藤することばかり。会社や時代の事情に振り回されながら、そして最愛の人との残された時間と自分の製作者としての寿命を削って飛行機を作っていく主人公が宮崎監督、そして時に自分に重なって見えました。
その様子は、一部のエフェクトを除き、極力CGを排した手描きアニメーションの映像美で描かれ、宮崎監督が培ってきたのは、無個性な効率ではなく長い年月を経た職人芸であるという主張を存分に披露してくれます。
そうなると、トトロのパパの糸井重里氏を超える棒読みっぷりが物議をかもしている庵野秀明氏を主人公の声に据えたのもわかる気がします。
「庵野がナウシカの続編を作りたいというならやってもらってもいい」と言わしめた同じ制作現場の弟子こそ、最後の作品の主役にふさわしく、また演技を超越したリアリティがそこに存在するのでしょう。棒読みぶりが過ぎて「冷たい」などという感想もあるようですが、彼を声優として評価するのはナンセンスです。
また、軍事航空産業というテーマも商業映画を考えたらニッチすぎではありますが、それこそ宮崎監督のこだわりであり、「好きな事を好きなように作れた」ことが引退を決意させたのでしょう。
モノづくりというのはスケジュールや予想通りには絶対に進みません。
ましてやそれを商業にするということがどれだけ難しいか、そして最も辛いのはそれに連れ添う伴侶であり家族であるということを、僕はイヤというほど知っています。
息子・吾郎氏は、宮崎監督が家庭を顧みない典型的な仕事人間だったと述べていたことがありましたが、宮崎監督は今作で、主人公の周囲の人達が彼に最も良い仕事をさせるために尽力していたことを描くことにかえ、自身の感謝を近しい人々に伝えているのではないでしょうか。
僕自身、妻に対して「結婚相手が自分でなければもっと楽な生活を送れたんだろうな」といつも申し訳なく思っているとともに、好きな事をやらせてくれている大きな理解には感謝し続けています。
そしてそんな事情は、完成品だけを評価する多くの人々には絶対に伝わりません。だからこそ最後に完成品で示されたのだと僕は考えます。
「生きねば」というコピーは、物語内のコンセプトであり宮崎監督が後継の弟子たちに伝えるべき残り時間であり、そしてこれまでのジブリ映画と同様に、観たすべての人を強く励ましてくれるメッセージ。
僕は映画で泣くということに憶えがないのですが、ラストシーンでの主人公の妻の一言で、恥ずかしながら目が熱くなって顔が歪んだことを自覚しました。
そんなわけでこの映画は、これまでのジブリのそれと同じようには考えないで観てください。
ジブリ映画最初で最後のセックスを示唆するカットがあることからも、暗に対象年齢的を絞っています。(直接ではないので子供が観ても大丈夫ですが)
一方で、十年後二十年後に今の子供達が観ても色褪せない価値が詰まっていて、これからもずっとモノづくりに取り組む人々にエールを送ってくれるでしょう。
『風立ちぬ』、宮崎駿監督のすばらしい遺産でした。
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